未定ちゃん

家族にひみつでNEWSにうつつを抜かして留年

NEWSに貰った愛が溢れた①

 

最近、ジャニーズ事務所のNEWSというアイドルにはまりました。

今までも、スターダストの超特急だったり、若手俳優だったり色々と3次元で今生き存在する人たちを好きになってきました(もともとは筋金入り2次元おたく)

超特急はいまももちろん好きなのですが、アイドルというより、アーティスト色鮮やかなパフォーマンスだったり歌声に惹かれて好きになっている事もあって、アイドル(所謂ジャニーズ)とは少々分けて考えています。ジャニーズであるNEWSを好きになった今でも変わらず。

 

前置きが長くなってしまうので、また書くことになるだろうからこの辺りでNEWSのお話をしたいとおもいます。

NEWSとの出会いを整理します。

(初めてブログをちゃんと書くのでお名前ちゃんと呼びます)

NEWSを、というか手越くんを知ったのは皆さんご存知、手越くんのバラエティと言えばのイッテQ。

面白い番組が始まったな〜〜なんて思って見始めた頃は全くジャニーズに興味がないどころか興味があるのは土と爬虫類と食事くらいの頃です。自意識の塊になる前で純朴でした。なので全く放送開始時の手越くんの事は存じ上げておりません。気合いでタイムリープできるくらい惜しい。今みたらウルトラかわいいですね。だいたい10年前なのでまだ未成年。日テレさんにおいて控えめなところもあったんですね。

それから数年飛ばして手越くんをイッテQにおいて認識します。

初期認識は「明るすぎて怖いしだいたいジャニーズは嫌いだから手越も嫌い」でした。

ジャニーズが嫌いだった理由は家族が全員TOKIOKinKi Kidsを除いたジャニーズ事務所のタレント全般、特に手越くんと嵐、それからSMAPが嫌いだったからというなんとも他人任せな嫌悪感情でした。ジャニーズアンチな家族がTOKIOKinKi Kidsは好きな理由は長くなるので端折ります。

今や「ミューズとヴィーナスの加護を受けた男手越裕也って最高〜〜!」って毎日のように騒いでいます。

正直な話は高校生になったとき知り合った友人がいなければ今も嫌いと言っていたかもしれません。今まで家族にあった基準がその友人に移行してしまうほどの出会いでした。この先の話にめちゃめちゃ関わるので仮にAとします。

(そして出会いうんちゃらのその話も重要は重要ですが長〜〜くなるので端折ります。)

その頃、加藤シゲアキの名前を耳にします。後の担当になるとはつゆしらず、本を書いてるという話だけを聞いて「ふ〜〜ん。まあ言うてアイドルがサクッと書いたやつでしょ」と思いながらAがしきりに勧めてくるのを適当にあしらいながら聞いたタイトルはピンクとグレー、ここでお分かりだと思いますが加藤シゲアキが苦しみ抜いたその瞬間もわたしは知りません。後から後から話を聞くばかりで成亮だったころの彼の事は本当に知りません。だから若干シゲ担とか名乗っていいのだろうか。そもそもNEWS担とか言っていい立場なのか、とも思っています。

そしてここから2年間私はピンクとグレーを読めというAの勧めを振り切り初めて読んだのは映画化された後でした。

一つ人生に後悔を増やしたところでNEWSの話は一旦終わります。

 

少し時間を戻して高校生の頃、超特急を好きになって人生で二回目のアーティストのイベントに足を運びました。(1回目は超特急と同期でライバル、兄弟みたいなグループのDISH//が出演していた由比ヶ浜で開催された音霊のライブ)

その時から、私の価値観は180度変わります。元々顔の綺麗な男の子は大好きできっかけも4号車タクヤの可愛くって幼さ残る整ったお顔に惹かれて興味を持ったのですが、アイドルなんてそれだけだっておもってたんですね。ドルアンチな家族がそういう考え方でそれをそのまま鵜呑みにしていたから。1号車コーイチのどこまでも伸び鮮やかで日本人離れした歌声にまだ荒削りながらコーイチの歌声とぴったりシンクロして華やかな旋律を奏でる7号車タカシの歌声を生で聴いた瞬間に自分が今まで信じてきた価値観が全部全部覆され、実力のあるアイドルも居る。敵を貶す前に知る努力をすべきなのではないか?という逆に言えばプレゼンを上手くされたらチョロい感じに考えをシフトチェンジし、アイドルおたくへの一歩を踏み出しました。それから頻繁にライブ会場に足を運ぶようになります。この期に通学や現場、趣味、アルバイトでえた自由な金銭も相まって軽率で鬼フットワークのジャンルジプシーとしての自我が形成されていきます。

高校後半のうち大概は超特急に費やしたと言っても過言でないくらい超特急というかEBiDAN一色といった感じでおわります。

そして私がEBiDANにホイホイしてる最中、Aが気付いたらNEWSにはまっていたのです。なんか最近すごいジャニーズの話するしカラオケでめっちゃ歌うなとは思ってたんだよ(当時) 

私はというと、この時点ではまだジャニーズアンチが入っております。

Aが手越担、と聞いた途端内心マジかよりによって手越…といった感じに。

そうして卒後もなんら変わらず今の学校に入り、超特急を追いかけ、映画ピンクとグレーの公開を迎えます。

 

ピンクとグレーを観た理由は菅田将暉が好きだったからでした。

普段すきな俳優がでてても中々映画館まで赴くこともないくらいには映画館に行かないのですが、その時は何故か観に行きました。もしかしたらAがいつだか原作で騒いでたから行ってもいっかくらいには思っていたのかもしれないけど、一人でいたくないのでだいたい誰かを誘うんです。この時は誰も誘わず一人で行きました。今となればもう一人で行ったからといってなんともないのですが、その時はなかなか新しい学校で親密な友人もおらず寂しくて高校生にもどりたい毎日だったので、なんとも不思議な行動をとったものだと。

その日は普通にみて、普通に帰って、休み明けに新しい学校で出会った友人、こちらは仮にBとします。少しばかりお話をして、超特急の話をしながら前にジャニーズが好きだったような話も聞いていた人でした。

そのBにピンクとグレー映画観てきたんだよ。面白かったなあ、といいながらぼんやり原作を読もうと思い立ちます。3年越しくらいにやっと重い腰をあげました。そんな時に限ってBがちょうどよく原作を、しかもハードカバーで持っていて、借りて読むことが出来ました。

なんてこんな、結末すら全く違う作品を同じ名前で作る必要があったんだろうか。そこから若干クリエイターとしての加藤シゲアキに興味を持ちます。

この頃にはアイドルへの偏見も薄くなっているのでAが沢山NEWSの話をしていて、小山さんと手越くんの距離感がヤバいとかジャニーズのクレイジーエピソードで笑うくらいにはなっていました

NEWSにはまるまでのことを備忘録かね綴る試みですが続きます。